公開セミナー「北欧とイノベーション~北欧を通じて日本の未来を考える~」について

東海大学の高輪キャンパスで、3月12日に公開セミナーが開催されます。

「北欧とイノベーション~北欧を通じて日本の未来を考える~」
ジェンダーギャップ指数、国際競争力ランキングや国連の幸福度調査レポートなどで上位を占める北欧諸国。人口規模は小さながらも、一人当たりのGDPは日本よりも高く、国際的な企業も数多く輩出、イノベーションの宝庫としても注目されつつあります。
今回のセミナーでは、北欧の基礎知識を学びつつ、これからの日本へのヒントを考察します。(オフィシャルサイトより)
■日時 2021年3月12日(金)15:00~17:00
■会場 東海大学高輪キャンパス2号館 2B101大講義室
■定員 50名(申込先着順)
■申込方法 Webフォーム・メール・FAX
■申込締切 2021年3月11日(木)

オフィシャルサイト

高輪キャンパスFacebook

申込サイト


「たかなわみんなのミュージアム」開催のお知らせ

2020年度、高輪子ども中高生プラザ(TAP)を舞台に展開した、子どもたちのアート・クラフト・デザイン活動の成果が、高輪区民センターに「たかなわみんなのミュージアム」として集結します。

3/28(日)と29(月)の2日間で開催。
(申し込み不要、入場料無料)

2021年2月、TAPにてダンスを楽しむイベント開催。

2021年2月13日(土)、高輪子ども中高生プラザ(TAP)にて、中高生向けに「ダンス」を楽しむイベントが開催されます。
hip-hop dance、Jazz dance、Lock danceと、回を分けて開催されますので、やってみたいダンスがあれば是非!
全部やりたい人は全部申し込んじゃいましょう。
年明けの、1/4(月)から受付がスタートするので、お申込みはお早めにどうぞ。

詳しくはこちら

たかなわ子どもカレッジ、閉室期間延長のお知らせ

「たかなわ子どもカレッジ」からのお知らせです。
当初、9/30(水)までを閉室期間としておりましたが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため当面の間、閉室することとなりました。再開の時期が決まりましたら、こちらで告知いたします。
よろしくお願いいたします。

たかなわ子どもカレッジへのお問い合わせは、
080-3443-5166 まで。

TAPにて講義&ワークショップ「コロナ禍の中をどう生きるか」が開催されます

11/1(日)に、高輪子ども中高生プラザ(TAP)にて、ティーンズスクエア「コロナ禍の中をどう生きるか」という講義&ワークショップが開催されます。
コロナ禍にある中高生が、これからのwith Corona下でどう生きるかを外部講師を招いて考えを深めていきます。
10/1から予約受け付け開始です。画像のお問い合わせ先へご連絡ください。

>>PDFはこちら

〜シリーズ 坂〜 第2回「幽霊坂」

2回目の坂は三田四丁目にある、「幽霊坂」をご紹介します。

なんとも怖い響きの坂ですが、実は都内には何か所も「幽霊坂」という名前の坂があります。幽霊坂はその名の通り、お墓やお寺などの近くの薄暗く寂しい雰囲気の坂にこの名前がついていることが多いです。坂とお寺の多い東京ならではの名称ですね。そして、ここ三田の幽霊坂は、数ある幽霊坂の中でも一番幽霊坂らしい坂かもしれません。というのも、道の両側にはお墓とお寺が密集し、夜は暗く、人通りもほとんどないため、夜に歩くだけでプチ肝試しができるくらいの雰囲気があります。

場所は国道1号線の魚藍坂下を慶應大学方面に少し進んだ右側が幽霊坂の入り口。坂上は聖坂に交わります。坂が別の坂の途中にぶつかる坂というのも、実はかなり珍しいです。一方通行の細い坂ですので車はほとんど通らず、近隣の住人が日常の道として利用されている生活道路。抜け道としてショートカットするときにはとても便利な坂でもあります。近くには御田小学校があるため、朝夕は通学の子供達の声で賑やかになります。

実は、このエリアはかつて三田寺町と呼ばれ、今でも多くの寺院が密集しています。なぜこれほどまでに寺院が密集したかというと、江戸時代初期(寛永12年、1635年)に江戸城拡張工事が行われた際に、八丁堀にあった寺院が当時の都市計画に基づいて移設されたことにより、この台地にたくさんの寺院が集められました。同じように移設された寺院は他の地域にもたくさんあったのですが、関東大震災や東京大空襲の被災を免れ、今でも当時の面影を残しているのは珍しく、だからこそ、この独特の空気感が幽霊坂らしさをより一層演出しています。一方で、当時坂上のエリアは「月の岬」と呼ばれており、高台から江戸湾越しに月を一望できる風光明媚な場所もありました。(現在は埋め立てが進んで、海は見えませんが、当時田町あたりは海岸線でした)そんな風情が行き来する不思議な場所がこの三田寺町エリアだったのです。
坂の名称の由来として、やはり名前からくる負のイメージは強いので、明治時代、文部大臣・森有礼(もり ありのり。その名「有礼」を音読みすれば「ユウレイ」)の屋敷が付近にあったことに因む、とするという説もあり、諸説あるというのが公式見解です。

次に実際歩いた時の感想です。坂は、途中かなり勾配のきつい部分がありつつも、坂下と坂上の部分はややなだらかな勾配となっています。一直線で途中に信号もないため、自転車で下るとスピードが出過ぎるので、注意が必要です。坂下と坂上の付近には住宅もたくさんあるので、ずっと幽霊っぽさをを感じるかといえばそうでもありません。坂上の通りにはマンションも多く立ち並んでいます。
ちなみに、筆者は真夜中に一人でこの坂を行ったり来たりして写真を撮りましたが、幸か不幸か幽霊には出会えませんでした。(笑)

実は白金高輪エリアには「幽霊坂」もうひとつあった!?

都内に何か所かある幽霊坂ですが、この白金高輪エリアには、もうひとつ幽霊坂があるのをご存知でしょうか?一般的にはほとんど知られていませんが、高輪台幼稚園から泉岳寺に抜ける坂が、実は「幽霊坂」なのです。坂の表示はないので、まず知られていません。よってマニアック度は五つ星!
坂の近隣には、墓地や寺院などありませんが、夜はちょっと薄暗く、人通りも少ないです。幽霊坂と言われれば、ちょっと怖く感じてしまいそうです。
途中道がカーブしているのですが、江戸時代、沼津藩と兵庫藩のお屋敷になっていた場所で当時の地図を見ると屋敷の池があったようで、そこを迂回している名残かもしれません。

基本情報
名称:幽霊坂
場所:三田四丁目
距離:約250m
標高:坂下:7m、坂上26m
歴史度:★★★★★
マニアック度:★★★☆☆
(もう一つの幽霊坂は、マニアック度:★★★★★)
※標高は国土地理院電子国土Webにて調べた数値です

たかなわ子どもカレッジ閉室期間延長のお知らせ

「たかなわ子どもカレッジ」からのお知らせです。

新型コロナウィルス感染拡大防止の為、東海大学の授業開始日が延長になりました。
それに伴い、たかなわ子どもカレッジの閉室期間の延長をいたします。

延長前:3/2(月)~4/30(木)
延長後:3/2(月)~9/30(水)

そのため誠に残念ではございますが上記期間内で開催を予定しておりましたイベント等は中止とさせていただきます。
今後の対応に関しましては調整中ですので、随時「プラたか.net」
または「高輪子ども中高生プラザ」HP(https://www.taplaza.org/)にて掲載いたします。
たかなわ子どもカレッジを利用しようと考えていた皆様には、ご迷惑をお掛けすることになりますが、何卒ご理解を賜りますようお願いいたします。

たかなわ子どもカレッジへのお問い合わせは、
080-3443-5166 まで。

昭和の懐かしいたたずまい「三河屋食堂」

今回は白金高輪駅から徒歩5分、魚らん商店会の三河屋食堂さんに伺いました。
タワーマンションの立ち並ぶ中、昭和の懐かしいたたずまいのお店が目をひきます。伺ったのはランチタイムの終わるころ。まずは取材の前にオススメの定食をいただき、お腹いっぱいになったところで・・・


■店舗情報
店  名:三河屋食堂
定 休 日:土曜日、日曜日、祝祭日
営業時間:11:30~13:30 17:30~22:00
住  所:港区三田5-16-13
電話番号:03-3441-3506
   
【凡例】
大:4代目店主 大久保孝政(おおくぼたかまさ)さん
典:店主のお母さま 典子(のりこ)さん
プM:プラたか.netのMK
プI:プラたか.netのIW


■創業は昭和7年!

プ:本日はお忙しい中、時間を作っていただきありがとうございます!よろしくお願いいたします。
大:よろしくお願いします。

プM:お店、昭和の懐かしい感じでいいですね!創業が昭和7年だそうですが、どんな歴史があったのでしょうか?
大:ボクはこのお店の4代目なんです。歴史については母が詳しいので・・・ちょっと待ってくださいね。
(大久保さん、お母様の典子さんを厨房から連れてくる)
母さん、このお店の歴史を話してくれる? お店ができたころから。
典:このお店はおじいさんが始めたお店なんですよ。終戦間近、焼夷弾でケガした人を病院に運んでいったときに病院が爆撃を受けましてね、それで亡くなってしまったんですが・・・。もともとは日本橋の魚河岸にいて、関東大震災に遭って転々としてきたのちに白金にきたんです。それからずっとここでやってます。
プM:戦争中もお店はやられていたんですか?
典:戦争中もやってましたよ。もう、休みなく365日。ライバルはコンビニです(笑)
プI:ライバルはコンビニ!(笑)戦争でこのあたりは焼けなかったんですねぇ。
典:そうなんです。この一帯は焼けずに残ったんです。でも昭和54年2月3日に近所から火が出ましてね、この並びのお店と一緒に焼けちゃったんですよ。
プM:よく日にちまで覚えていらっしゃいますね!戦争で焼けなかったのに火事で・・・。
典:昔は長屋みたいに家がくっついてたしね。延焼もしやすかった。それで昭和56年にビルを建てて、それからそのままなんです。
プI:なるほど、それで昭和の懐かしいたたずまいが残っているのですね~。

典:そういえば港区といえば高輪支所ができたときに食堂に入ったのうちだったんですよ。50年くらい前だけど。
プM:えっ!そうなんですか!そんなつながりがあったとは。なんか嬉しいです。

■安定の人気メニュー「サバの味噌煮」

プM:さきほどランチをいただきましたが、ほんとにおいしかったです!人気メニューはなんですか?
大:ハムカツとか揚げ物が人気あるかな。揚げたてをお出しするので。
プM:揚げたておいしそうですね~!だいたいメニューは変わらないですか?
大:サバの味噌煮はいつもある定食で、よく出ますね。まぐろのから揚げは限定メニューなのでないときもあります。思いついたときに新しいメニュー出すときもありますよ。

<さばの味噌煮とウィンナーサラダ>

<まぐろのから揚げと肉豆腐>

プI:週の変わり目にメニュー変更とかじゃないんですね(笑)
大:そうなんです。いつのまにか新しいメニュー入っているので、チェックしていただければ(笑)

■素材は新鮮でいいものを目で見て選ぶ

プM:お店にいらっしゃるお客様は常連さんが多いんでしょうか?
大:そうですね、常連さんもいらっしゃいますし、8割くらいは近くの会社勤めの方かな。地元の人は2割くらいなんです。だから土日休みにしてます。
プM:そうなんですね~!
仕込みは朝早いんですか?
大:だいたい8時前~8時半にお店に来て、八百屋に買い出しに行って、9時半ごろから準備という感じです。
煮物、チャーシューなど前日から置いた方がおいしいものは前日に。基本はその日に作ります。
プI:八百屋さんに買い出しに行かれるんですね!近くにあるんですか?
大:ありますよ~。でもどんどん辞めてっちゃって。これで3軒目です。
でも素材はちゃんと目で見てよいものを選びたいので、野菜は八百屋、肉は肉屋、魚は豊洲で仕入れたいんです。
プI:なるほど。いいものを仕入れてその日に作るからおいしくできるんですね~。

■いろんなお店で働いて、いろんな見方が養えた

プM:大久保さん自身のことをお聞きしていいでしょうか。修行などはされたんですか?
大:特に修行とかはしてないんですけど、19歳のときから12~3年間飲食店で働いてきました。2~3店で働いたんですが、店によってやり方が違ったりしていろんな見方が養えました。いいところを取り入れてやれているので、それはよかったですね。
プM:なるほど。このお店をやってよかったなと思うところはどこでしょうか?
大:ボクの代になってから、いろいろ工夫してお客様が増えたことかな。壁のメニューを貼ったり、外にもわかりやすくしたり。Googleに店舗を登録して地図に出るようにしたり。ロゴを友達に作ってもらって、ショップカードやTシャツも作りました。(着ているTシャツ見せる)

プM:それ着て歩いたらかなり宣伝になりますね!
ところで、休日はどんな過ごし方をされているんでしょうか。
プI:急にプライベートにふりますね(笑)
大:えーと…、フットサルとかやってます。港区の施設で(笑)
あとは飲み歩いてるかな~。
プM:フットサル、ポジションは決まってるんですか?
大:特に決まってないです。でもキーパーはやらないです。手が商売道具なので。
プI:なるほど。たしかに手をケガしたらお料理できないですもんね。
飲みに行かれるのはこのあたりなんですか?
大:田町あたりで飲んでます。ビールがおいしく飲めればどんなお店でもOKです(笑)
プM:では、最後になりますが、お客様に伝えたいことがあれば!
大:そうですね、入りにくく見えるみたいだけど、気軽に来てください(笑)
プ:みなさん!三河屋食堂さん、入りにくくないですよ。ウェルカムですよ!(笑)
本日はお忙しい中、本当にありがとうございました。

〜シリーズ 坂〜 第1回「三光坂」

今回よりスタートした「シリーズ 坂」。
ここ白金高輪エリアは都内でも有数の坂の多い地域。勾配の多さが土地の風景を形作っています。坂ひとつひとつにも歴史や由来があり、調べてみると面白いエピソードや再発見がたくさんあります。そこで、このシリーズでは、毎回1つの坂を取り上げて歴史から今をレポートしてお伝えします。なにげなく歩いている坂にも目を向けると地元の深さを知るきっかけにもなるのではないでしょうか。
第一回目は白金と白金台を結ぶように通っている三光坂をご紹介します。

まずはWikiPediaで調べてみますと「三光坂(さんこうざか)は、東京都港区白金二丁目と四丁目の境界に存在する坂。坂下は、恵比寿通り(東京都道305号芝新宿王子線)との交差点になっており、ここから目黒通りまで向かう道路の中途までの区間が三光坂となっている。坂を上ると高級住宅地が広がる。坂下に、都営バス田87のバス停「三光坂下」が存在する。」とこのとです。

次に坂の名前の由来を見てみましょう。
坂に立っている三光坂の標柱によりますと「本来は坂下専心寺にあった三葉の松にもとづき三鈷(さんこ仏具)坂だったというが、別に、日月星の三光などともいう。」とのことですが、ではいったいいつから三鈷が三光になったのかまでは書いてありません。資料を調べてみますと、徳川三代将軍家光が鷹狩の際、坂の途中にある専心寺に立ち寄り、寺にあった松が珍しく三葉だったことから三葉の松と名付けたことで寺の前の坂を三葉坂と呼び、一方で土地の人々がその松を三鈷の松と呼んでいたことから三鈷坂とも言われ、三鈷が三光に変わっていったのには日・月・星の3つの光が由来との説があるとのことでした。

(昭和32年の北里通り・港区立郷土歴史館所蔵)

(昭和35年の三光坂上から・港区立郷土歴史館所蔵)

いまでは道の両側にマンションや邸宅が立ち並び、坂上には聖心女子学園もあり朝夕の時間帯は制服を着た女学生達が歩く姿が毎日の光景です。目黒通りから北里通りへの抜け道として車が結構入ってきますが逆に北里通りから目黒通りに抜けるには途中で一方通行になるので、車はそこまで多くなく歩いていて気分の良い坂でもあります。ただ自転車では勾配が少々きついかもしれません。

坂の下の交差点には「三光坂下」という信号あり、近くのバス停にも「三光坂下」という停留所があります。
かつて、この地域は「芝白金三光町」と呼ばれていましたが、住居表示変更で「白金」となり「三光」という地名はなくなってしまいました。
しかし「三光小学校」や「三光幼稚園」とともに、「三光坂」は地域のランドマークとして存在し続けています。

基本情報
名称:三光坂
場所:港区白金二丁目、四丁目
距離:約200m
標高:坂下:12m、坂上29m
歴史度:★★★★☆
マニアック度:★☆☆☆☆
※標高は国土地理院電子国土Webにて調べた数値です

クロミミラパンのコーヒーセミナーの記事をアップしました!

クロミミラパンでコーヒーセミナーが開催されたので、参加してきました。
この日は、フィリピンのコーヒー豆生産者の方々と一緒に、コーヒーの飲み比べを行いました。

●記事はこちら

道を歩けば歴史を感じるの巻

JR新駅「高輪ゲートウェイ駅」が、来年の仮オープンに向けて工事を進められています。
「プラたか」の「たか」は、高輪の「たか」なので、新駅名に「高輪」が入っているので、ちょっと嬉しかったりします。

高輪ゲートウェイ駅だけでなく、いくつかの主要駅を要する白金高輪エリアですが、その中で規模の大きな駅といえば、1日で37万人以上利用すると言われている品川駅でしょう。
1日に37万人ってすごいですよね。分かりやすく例えれば、長野市の人口くらいです(余計に分かりにくい)。

こちらは、リニア始発駅になるだけでなく、高輪口の再開発の動きが活発になっており、京急品川駅が地上1階に下りて、歩行者通路はデッキ化されるなど、未来の街の絵が満載です。

そんな高輪口にひっそりとある、品川駅創業記念碑をご存知でしょうか。

品川駅にもしっかり、歴史が刻まれています。それでは、白金高輪歴史探訪、スタートです!!

さて、突然ですが、ここで問題です。
日本で最初に開通した鉄道路線といえば・・・??

・・・。

明治5年(1872)9月12日開通の新橋と横浜間なのは有名ですが、
でーすーがー、これに先駆けて開通した路線はご存知でしょうか??

答えは、品川と横浜間です!こちらは、5月7日に開通しています。
つまり、5月から9月までは、仮営業していたということですね。ここに、品川駅の歴史を感じます!

なぜ、仮営業していたかというと、当初、鉄道は陸上を通す予定でしたが、兵部省(軍政行政機関)から、高輪にあった軍用地を通過することを理由に反対されてしまい、高輪と品川間は海の中に土手を作り、その上を通すことになりました。

そのため、先に品川と横浜間が開通して仮営業したのです。(全路線の1/3は海上の土手だったそうな。)

高輪と品川間ってどういうこと!?と感じるかもしれませんが、当時の品川駅は、現在の駅よりも400m程、南に位置し、旧東海道の品川宿に近いところにあったそうです。
ちなみに、京急線にも高輪駅というのが存在していたそうです(現在のウィングWESTの辺り)。

現在の品川駅の場所には明治29年に移され、先述の品川駅創業記念碑が建立したのは、さらに後の昭和28年(1953)4月のことです。

こちら、表面碑文は、大野伴睦の筆で、背面には開業当時の列車時刻表と料金表が記されています。


こちらの料金表を見ると、高いのか安いのかわかりませんねぇ。
下等運賃で米10kg買えたそうなので、現在価格でおよそ2,500円~3,000円程度(価格.com調べ)だと思います。うーん、新幹線みたいなものだと思えば・・・!!

度重なる再開発を経ても、品川駅の歴史を感じさせる記念碑は残していきたいですね。

さて、プラたか取材班はこのまま東海大学へ向かいましたが、この道中にもしっかり歴史を感じましたので、加筆いたします!!

皆さんはこの場所をご存知でしょうか??
江戸時代以前は、京都から奥州へ向かう主要な幹線道として機能していました。

実は、ここ、高輪3丁目付近は、戦国時代の戦跡でもあるのです。

時は遡ること、大永4年(1524)。
武蔵野国への進出を計画していた小田原城主・北条氏綱は、江戸城を支配していた上杉朝興と敵対していました。

そして正月13日。

北条氏綱は、1万~2万の兵をもって来襲。

北条氏綱の先陣と上杉勢が、この高輪3丁目辺りで最初の戦を繰り広げました。

結果は、上杉家、家臣・太田源六郎資高、源三郎資貞 兄弟と内通していた北条氏綱が有利に戦況を運び、戦闘中に、氏綱の第2陣が到着。

挟み撃ちとなった上杉勢は江戸城まで退却しましたが、持ちこたえることは出来ず、その日の夜に河越城(埼玉県川越市)へ落ち延びたそうです。

史跡では、「高縄原古戦場跡」とされています。

道を歩けば歴史探訪。まさに白金高輪の魅力の一つです!!

それでは、今回はこれにて!

居心地の良い雰囲気を大切にしている、白金台の「オステリア ルスティカ ドムス」

ひとりで前菜からメインまで食べられるように、ボリュームと価格が工夫されたメニューと、常連の方も初めての方にも「居心地の良い空間」を楽しんでいただける白金台のイタリアン「オステリア ルスティカ ドムス」にお邪魔しました!

■店舗情報
店  名:OSTERIA RUSTICA DOMUS
定 休 日:日曜日
営業時間:平日18:00~翌2:00、土曜祝日18:00~24:00
住  所:港区白金台4-8-14 プラティーヌD-1
電話番号:03-6450-2575

【凡例】
植:オーナーの植松さん
プ1:プラたか.netのMK
プ2:プラたか.netのSG
プ3:プラたか.netのIW

プ:みなさん、こんにちは!プラたか.netのグルメコンテンツ「プラたかグルメン」のコーナーです。
令和最初のグルメンを飾っていただくのは、「OSTERIA RUSTICA DOMUS(オステリア ルスティカ ドムス)」オーナーの植松さんです。本日はお忙しい中、時間を作っていただきありがとうございます!よろしくお願いいたします。
植:よろしくお願いします。

プ1:では、こちらのお店をオープンしたのはどんなきっかけからでしょうか?
植:実はこのお店は、2018年11月13日にリニューアルオープンしているんです。その前までは、前のオーナーがいたので、お店を譲っていただいてリニューアルしました。お店の名前はリニューアル前からずっと同じですよ。
プ3:メニューやコンセプトで前と変わったところは何ですか?
植:ベースはこれまでと同じです。ただ、以前はおつまみを中心に提供していて、お酒を飲みに来る方がメインだったのですが、リニューアルしてからは食事も提供しているので、ディナーもできるようになりました。
プ2:今までのコンセプトを残しつつ、より多くの方々に来てもらえるような工夫がされているのですね!
プ1:馴染みやすく、でも新しさも感じます!
植:ありがとうございます。
プ1:では、そんなお店のおすすめメニューは何ですか?
植:おすすめは…季節によって変わりますが、今の時期は壁に掛けたボードに書いているものですね!
初鰹のカルパッチョ、アスパラガスのビスマルク、ニンニクのペペロンチーノです!


<初鰹のカルパッチョ>


<ニンニクのペペロンチーノ>

プ3:どれもおいしそうですね!

プ1:ちなみに植松さんが個人的にお好きなメニューは何ですか?
植:えーと(笑)、子羊の骨付きロースの炭焼きですかね!
プ1:炭焼き料理、私も好きでよく選ぶんですよ!
植:ちなみに、炭焼きはよく出るメニューの一つなんです。シンプルですが、それが人気なんですよね。
プ3:シンプルでおいしいメニューは迷った時に選びやすいですよね。ほかに人気のあるメニューはありますか?
植:季節によってメニューを変えていますが、ペペロンチーノなどお客様の定番メニューとなっているものはやはり人気です。
プ2:メニューを変えるときは、どのように決めていますか?
植:えーと…、シェフー!メニューを変えるときはどうやって変えていますか?

シェフ:気分です!笑

植:ということなので、シェフの気分によって変えていて、お楽しみです!笑
プ3:どんなメニューになるのか気になっちゃいます~!
プ2:気分で変えるって、おもしろいですね!定番メニューも季節のメニューもどっちも食べたくなります…(笑)
植:一皿の量はそんなに多くはなく、価格も手頃なので、一人でも前菜からメインまで食べられるようになっています!実際に一人で来るお客さんもけっこういるんですよ。
プ2:一人で前菜からメインまで食べられるって、女性ウケしそうですね!
植:はい、女性のお客さんも多いですよ。それと、平日も0:00まで料理を提供しているので、仕事の帰りが遅くなってしまう方には便利だと思いますよ。もちろん、軽く一杯飲んでいただくだけでも歓迎です!
プ3:便利だと混みそうですね。予約とかしないと入れなそう…(泣)
植:早い時間帯なら入れますよ!20時以降になると2軒目でいらっしゃる方なども多いので、ほとんど満席ですね。
プ2:ちなみにですが、どのような客層が多いですか?リニューアル前からのお客さんもいます?
植:リニューアル前からのお客様も半分ほどいらっしゃいます。近くにお住まいの方が多いですよ。
プ1:リニューアルしても変わらず通ってくれるのは嬉しいですよね。お店の雰囲気的にとても落ち着きますし、私もプライベートでも来たいです!
植:雰囲気が落ち着くのは、私やシェフの人柄もそうですが(笑)、実はこのお店の造りにも特徴があるんです!

プ1:どんな特徴が…!?

植:実は、このお店は角がないんです!天井もカウンターも丸くしているんですよ。


プ1・プ2・プ3:(周りを見渡して)あっ!本当だ!

植:角がないことで、リラックス効果があるそうですよ。
プ1:居心地が良すぎてお客さんもなかなか帰らなそう(笑)。お忙しいと思うのですが、その中でも楽しいことは何ですか?
植:休みも今のところ日曜だけなので忙しいですが、お客様とお話しするのはとても楽しいですよ!カウンター越しにお酒を提供しながらお話ししています。
プ3:オーナーとお話ししながらお酒を飲めるなんてアットホームですね!
プ1:では、最後に今後の夢や目標を教えてください!
植:いつも来てくださるお客様にも初めていらっしゃるお客様にも居心地の良いと感じていただけるような雰囲気づくりを大事にし、これからも地域の方々に愛されるお店でありたいと思います!
プ1:植松さんのお店に対する熱い思いが伝わりました!
本日はお忙しい中、本当にありがとうございました。

手づくり&できたて料理のあったか洋食店「パブレストラン いしかわ」

JR新駅「高輪ゲートウェイ」による再開発で、大きく変わろうとしている泉岳寺には、昭和の雰囲気満載のレストラン「いしかわ」があります。元号が、いよいよ「令和」に変わろうとしている、2019年4月26日に平成最後の特集記事をアップしました!

■店舗情報
店  名:泉岳寺パブレストラン いしかわ
定 休 日:土曜・日曜・祝日
営業時間:11時~13時半、17時~21時
住  所:港区高輪2-20-26
電話番号:03-3449-2085


【凡例】
石:泉岳寺パブレストラン いしかわ店長の石川さん
プ1:プラたか.netのDK
プ2:プラたか.netのSG

プ:みなさん、こんにちは!プラたか.netのグルメコンテンツ「プラたかグルメン」のコーナーです。
今年度のグルメン取材の最後を飾っていただくのは、まちの洋食屋さん「レストランいしかわ」店長の石川さんです。本日はお忙しい中、時間を作っていただきありがとうございます!よろしくお願いいたします。

石:よろしくお願いします。あ、食べながらどうぞ!
※ランチメニューをいただきながらの取材。プ1はチキンカツカレー(780円)を、プ2は目玉焼きのせハンバーグ(780円)を注文しました。

プ1:さっそくですが、美味しいです・・・!手づくりの優しい味わいですね。
プ2:ほんとに美味しいですね。洋食屋さんのハンバーグって何歳になってもテンション上がります!
石:ありがとうございます。うちは一切作り置きをしていないんですよ。お客さんにはできたてのものを食べてほしいからね。
プ1:後半にお伺いしようと思っていたお店のこだわり、冒頭から回答をいただいちゃいました(笑)


石:(笑)ま、何でも聞いてくださいね!

プ1:では、まずこのお店の歴史を教えてください。

石:私は3代目店主で、先々代からだと約100年の歴史があります。初代はパン屋で、その後喫茶店になり、色々な変遷を経て、今の洋食屋スタイルになりました。私が松山のホテルに修行に出て、帰ってからだとちょうど36年ですね。

プ1:長く深い歴史があるんですね。何歳の時に修行へ行かれていたのですか?
石:高校卒業後、8日目には修行に出ていました(笑)当時18歳で右も左もわからず、最初は大変でしたが、良い先輩に恵まれ、彼らとは今も付き合いが続いています。
プ1:ということは、36年の付き合いですね、すごい!苦楽を共にしたぶん、強い絆が芽生えたんですね。
石:そうですね。修行で培った技術だけでなく、人脈も今の財産になっていますね。
プ1:話は変わって、このお店は常連さんやリピーターが多そうな雰囲気ですが、どのような方が多いのですか?

石:お客さんは、この辺りの会社に勤めているサラリーマンの方が多いですね、昼も夜も。週に何度も顔を見せてくれる常連さんもいます。
プ2:確かに、この味は週に何度も食べたくなりますね!優しい家庭の味に癒されます♪
プ1:ちなみに、一番人気のメニューはどれなんですか?

石:うちの店のメニューはどれも人気ですよ(笑)でも、しいて言うなら、日替わりメニュー(この日は目玉焼きのせハンバーグ)とポーク焼肉(690円)ですね。
プ2:(周りを見回して)確かに、ポーク焼肉もおいしそうですね!
石:どれも自信作です。また、値段はオヤジの代からほとんど変えていません。
プ1:えっ、すごい!物価はどんどん上がっているのに。確かに、とってもリーズナブルな価格設定ですよね。

石:うん、それでも一生懸命にやっていればやっていけます。べらぼうに高くしなくてもね。
プ1:できたての美味しいランチがこの値段で食べられるなんて、根強いファンがいる理由がよくわかります!私も職場がもう少し近かったら毎日でも来たいくらい(笑)
石:ありがとうございます。10軒店を出して7~8軒がつぶれる時代に、この場所でやらせてもらっていることはご先祖様にとても感謝しています。今の環境にあぐらをかかずに、これからも妻と手を取り合ってやっていきたいと思っています。
プ2:ランチメニューは7種類ありますが、おふたりだけで朝から仕込みをされるのは大変ではないですか?
石:そうですね、朝7時頃から仕込みを始めないと間に合わないですね。会議への参加など、商店会の会長としての仕事もあるし、毎日とても忙しいです。
プ1:石川さんの1日のスケジュール(平日)はどんな感じなのですか?

石:サラリーマン相手だから、平日は忙しいよ~(笑)朝7時から仕込みを始めて、夜の営業は21時ラストオーダーで、お客さんが完全に帰るのが22時半くらい。その後片づけや掃除をして、家には寝に帰るだけです。
プ2:壮絶ですね…!聞いているだけで倒れそうな忙しさですね。
石:立ち仕事なのに、足が浮腫む持病があるのも辛いところです。病院に行ったら下肢静脈瘤と診断され、今は立ちっぱなしでも足を浮腫みにくくする靴下を履いて凌いでいます。忙しくてなかなか通院できないのですが、治療と同じ効果があるそうです。

プ1:私は座り仕事ですが、冬などは靴が入らなくなるくらいに足がパンパンに浮腫みます。その靴下、紹介してください。(笑)
プ2:(笑)話は変わって、お店がお休みの日はどのように過ごされているのでしょうか?
石:週末はゴルフやプールなどに出かけ、積極的に運動するようにしています。医者に身体を動かすように言われているし、スポーツを通じて新しい知り合いも増えて楽しいですね。

プ1:アクティブで良いですね!

石:うん、そしてだいぶ話逸れちゃったけど、大丈夫?(笑)
プ1:お気づかいありがとうございます。では、お客さんに言われて一番印象に残っている言葉は何ですか?
石:やっぱり、美味しいと言ってもらえるのが一番嬉しいですね。あとは、何も言わずとも常連さんが日々通ってくれることが嬉しいね。
プ2:常連さんにとっても大切な「行きつけのお店」なんでしょうね。
石:先日、息子が職場の上司を連れてきたんだけどね、久々に緊張しちゃいましたよ(笑)でも、新しい方に来ていただけることは感謝ですね。
プ1:では最後に、未来のお客様にメッセージをお願いします!
石:タバコの吸える珍しい店です(笑)。ぜひ、一度食べに来てください。ランチは回転が大事だけど、私は作り置きは絶対にしない主義です。それが一番のサービスだと思っているからね。お客さんにはできたてを食べてもらいたいと思うから、できたての温かいメニューを、愛を込めて提供しています!

プ1:石川さんのお客さんへの愛は、取材班にもしっかりと伝わってきました!石川さん、本日はお忙しい中、本当にありがとうございました。JR新駅(高輪ゲートウェイ駅)の設置や品川駅周辺の再開発など、目まぐるしく街が変わろうとしている中でも、このお店の「変わらない味」がこの先もずっとずっと変わらずあり続けてくれたら嬉しいですね!

三田台の古墳!? 亀塚公園に迫る!!

プラたか.net取材班のYNMに振り回されて、あちこち取材する羽目になったSS氏と共に、三田台~高輪付近をチャリンコで散策中でございます。

お城を探したい!大正建築物に浪漫を感じたい!と巡り巡って本日は「古墳」をチョイス!
こんなところに古墳なんてあるの?と疑いの目を向けられている皆様。

あるんです!

それでは、Let’s Go!!(頭の中には、あのbackがtoでfutureするBGMを。)
訪れたのは、三田台の静かな住宅地にある面積9,183㎡の広大な港区立亀塚公園。

日中は保育園の子供達が元気に走り回り、時にNPO法人みなと外遊びの会がプレーパークを開催。
近隣町会が夏祭りやお花見を催したり、御田小地区防災協議会が行政と防災訓練を開催する等、三田台地域の拠点とも言える憩いの公園です。

名前の由来である「亀塚」と呼ばれる塚が公園内にあり、実はこの塚が「古墳」と考えられています。さっそく、この亀塚の頂部に立ち、歴史を感じたいと思います!

亀塚の頂部に立ってみました。木々が生い茂っていますが、おそらく昔の眺めは相当良かったはずです。
(文明年間1469-1487には、太田道灌がここに斥候(ものみ)を置いたと伝えもあります。)

今、取材班が立っているこの亀塚は「円墳」と言われています。円墳とはいわゆる古代の偉い人のお墓「古墳」の一種で、平面が円型の墳丘形式古墳でございます。
お墓の上に立つなんてこりゃ失礼!しかし、まだ古墳とは言い切れません。

港区教育委員会の記録によると、過去に5回調査を実施しており、塚は盛土であると確認されています。また、古墳時代の土器の破片が多数発見されたので、古墳時代以後に築造されたものと考えられているそうですが、内部構造が不明のため古墳とは断定していないそうです。

古墳とは断定していないので、なんだあんまり歴史ロマン感じないなぁと思いの方。いやはやしかし、周辺の地域からは貝塚や古代住居跡が発掘されています。

付近の三田台公園には、昭和53年(1978)7月から約1年半かけて港区教育委員会が行った伊皿子貝塚遺跡の発掘調査で発見された住居が再現されていますので、ここが古代人の生活の地であったことは間違いないのです!

また、亀塚の頂部には石碑があり、この亀山碑と言われるのが「亀塚」の由来です。

この亀山碑を建立したのが、上野(こうづけ)国 沼田藩主 土岐(とき)頼熈(よりおき)で、寛延3年(1750)のことです。

亀塚公園は、江戸時代になると上州沼田の藩主土岐家の屋敷になったそうです。
そして、明暦3年(1657)にこの地を下屋敷として拝領した土岐家こそ、亀塚の由来を作られた主でございます。

詩文に秀でた大名である頼熈(よりおき)は、このあたりが更科日記の竹芝寺伝説地であることや、塚の頂部にある酒壺のもとに出入りすることで神として崇めていた亀が、ある夜の風雨のために石になったという土地の由来を伝えるためにこの碑を建立したと考えられています。

※ 更科日記とは菅原孝標女が綴った思春期的な憧れと、でも現実はね・・・って日記。
※ 竹芝寺伝説とは、宮中の警備員をしていた竹芝の男がぼやいている故郷の話を皇女が聞いて、私を故郷に連れてって。という流れになり、これは宿命なのだ!と罪を覚悟して男が皇女を背負って、めちゃ草が生い茂っている竹芝に駆け落ちした。取り戻そうとしたけど、皇女の意思は固く、男を罪にしても皇女は戻ってきそうにないので、そこの国を皇女に預けて税も免除してあげるからよろしく暮らせ、と都が寛大だった。その男女が無くなった後、その地を寺にした。という伝説。

ちなみに、同じく三田四丁目の済海寺は竹芝寺の跡地という話もあります(史実は不明)。

古墳時代から江戸時代まで、歴史がいっぱい詰まった亀塚公園。すぐ近くの三田台公園も合わせて訪れてみてくださいね。

では、古墳時代のロマンを胸に馳せ、亀塚公園編はこれにて。

芝法人会・白金商店会共催の商店街職業体験ツアーのレポートを公開しました!

2018年5月と6月に実施された、「芝法人会・白金商店会共催 商店街職業体験ツアー」のページを公開しました!
新島、大島、八丈島の小学校のみなさんが、白金商店会のお店をまわり、職業体験を行いました。

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