白金高輪歴史探訪

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〜シリーズ 坂〜 第1回「三光坂」

今回よりスタートした「シリーズ 坂」。
ここ白金高輪エリアは都内でも有数の坂の多い地域。勾配の多さが土地の風景を形作っています。坂ひとつひとつにも歴史や由来があり、調べてみると面白いエピソードや再発見がたくさんあります。そこで、このシリーズでは、毎回1つの坂を取り上げて歴史から今をレポートしてお伝えします。なにげなく歩いている坂にも目を向けると地元の深さを知るきっかけにもなるのではないでしょうか。
第一回目は白金と白金台を結ぶように通っている三光坂をご紹介します。

まずはWikiPediaで調べてみますと「三光坂(さんこうざか)は、東京都港区白金二丁目と四丁目の境界に存在する坂。坂下は、恵比寿通り(東京都道305号芝新宿王子線)との交差点になっており、ここから目黒通りまで向かう道路の中途までの区間が三光坂となっている。坂を上ると高級住宅地が広がる。坂下に、都営バス田87のバス停「三光坂下」が存在する。」とこのとです。

次に坂の名前の由来を見てみましょう。
坂に立っている三光坂の標柱によりますと「本来は坂下専心寺にあった三葉の松にもとづき三鈷(さんこ仏具)坂だったというが、別に、日月星の三光などともいう。」とのことですが、ではいったいいつから三鈷が三光になったのかまでは書いてありません。資料を調べてみますと、徳川三代将軍家光が鷹狩の際、坂の途中にある専心寺に立ち寄り、寺にあった松が珍しく三葉だったことから三葉の松と名付けたことで寺の前の坂を三葉坂と呼び、一方で土地の人々がその松を三鈷の松と呼んでいたことから三鈷坂とも言われ、三鈷が三光に変わっていったのには日・月・星の3つの光が由来との説があるとのことでした。

(昭和32年の北里通り・港区立郷土歴史館所蔵)

(昭和35年の三光坂上から・港区立郷土歴史館所蔵)

いまでは道の両側にマンションや邸宅が立ち並び、坂上には聖心女子学園もあり朝夕の時間帯は制服を着た女学生達が歩く姿が毎日の光景です。目黒通りから北里通りへの抜け道として車が結構入ってきますが逆に北里通りから目黒通りに抜けるには途中で一方通行になるので、車はそこまで多くなく歩いていて気分の良い坂でもあります。ただ自転車では勾配が少々きついかもしれません。

坂の下の交差点には「三光坂下」という信号あり、近くのバス停にも「三光坂下」という停留所があります。
かつて、この地域は「芝白金三光町」と呼ばれていましたが、住居表示変更で「白金」となり「三光」という地名はなくなってしまいました。
しかし「三光小学校」や「三光幼稚園」とともに、「三光坂」は地域のランドマークとして存在し続けています。

基本情報
名称:三光坂
場所:港区白金二丁目、四丁目
距離:約200m
標高:坂下:12m、坂上29m
歴史度:★★★★☆
マニアック度:★☆☆☆☆
※標高は国土地理院電子国土Webにて調べた数値です