白金高輪歴史探訪

HOME > 白金高輪歴史探訪 > 白金高輪にある「看板建築」

白金高輪にある「看板建築」

看板建築とは、建物の正面に庇が無く、衝立のような看板を兼ねた外壁であることから、そう呼ばれています。詳しくは看板建築に関するサイト等をご覧ください。
看板建築はその外壁のデザイン性が高く、意外とファンが多い近代建築物です。

そんなデザイン性の高い看板建築が、三田五丁目にある松坂児童遊園(通称:だるま公園)の横に建っているのをご存知でしょうか。

銅版の壁や戸袋のデザインが見事です。また、銅版の味がなんとも言えません。
色々調べてみると、1950年に施行された建築基準法により、銅板が不燃材として認められなくなったので、緑水色で味のある銅板張りの看板建築は建てることができなくなり、減ったようです。

また、中央には「栃木屋」という屋号がペイントではなく、木製で貼られています。木製なので厚みがあり、立体感がありますね。

お住まいの方にお話しを伺ったところ、「栃木屋」さんは、昭和50年頃まで八百屋として営業されていたそうです。当時も商店街という場所では無かったが、近所に魚屋もあり、地域の人のための商いをしていたとのことです。

昭和50年頃といえば、高度経済成長期の直後くらい、日本人の生活文化が多きく変わった時期なのでしょう。特に商店街ではない地域の魚屋、八百屋、味噌屋等の小売店が減っていった時期ですよね。

築年数は90年くらいとのこと。太平洋戦争の空襲でも白金三光町や白金志田町は大きな被害を受けましたが、三田豊岡町は殆ど無傷だったので、このような建築物が現代にも残っているんですね。戦前からこの地に建っていたとは、歴史を感じます。

ノスタルジックな雰囲気を感じられる三田の一角を紹介しました。
三田、高輪、白金、白金台の看板建築に関する情報がありましたら、プラたか.netまで!